『旅してごめんね。』

自分らしさすらも取っ払い、世間体なんて気にせずにはみ出して生きよう! 目標を持って生きることの面白さや旅の楽しさを、ガンガン伝えてしまうブログです。

『マチュピチュ遺跡とは?なぜ造られた?なぜ住まなくなった?』



スポンサーリンク

 

 マチュピチュ遺跡の謎。

 

あっ、最近腕時計にハマって本田圭佑のように、両腕に着け始めたリイチです。

こんな僕ですが、どうぞ宜しくお願いします。

 

マチュピチュ遺跡に行ってから、数ヶ月が経ちます。

それからもアジアを何か国か行っていますが、それはまた記事にします!

 

僕がマチュピチュに行ったのは、ただただあの神秘的な建造物を見たい!

それに「世界遺産って行きたいじゃん」という、なかなかのふにゃっとした動機でした。

 

そもそも、皆さんマチュピチュ遺跡がなぜ造られたか気になりませんか?

気になると思う。

気になるよね。

気になる決まってる。

 

僕はマチュピチュ遺跡に行ってガイドからの話を聞いているうちに、気になったタイプ!

遅咲き。

日本に戻ってから僕は、親指程度の大きさの脳みそに知識を入れたので、少しご紹介しますね。

目次

 

 マチュピチュ遺跡は、なぜ造られた?

 

まずは「なぜ、作られたんだろう」ってところから。

f:id:ryuichik71:20180131132729p:plain

 ペルーの国旗~。格好良いな~。

 

 

1、太陽を観測する為?

これは、僕が現地のペルー人ガイドから聞いたものです。

かつてペルーにあった、インカ帝国の原住民は太陽神を信仰していました。

 

そして、マチュピチュ遺跡の中には『太陽の神殿』という遺跡もあります。

 

また、これほど高い標高(2400m)にある理由として、人々が信仰している『太陽』の少しでも近くに自分たちの居住場所を作ろうとするのは、自然な考えだとも思います。

 

太陽は神と信仰する国としては、何ら違和感はありません。 

f:id:ryuichik71:20180131132557p:plain

 

 2、スペイン人からの侵攻を逃れるため?

これも、やや有力な説になります。

 

当時、ペルーはスペイン人により侵略され植民地になっていました。

多くの地域から逃げてきた原住民は、挟み将棋のように、山へ山へと追いやられています。

 

そして、マチュピチュ遺跡がある場所は高い位置にあり、麓から全く見えない場所です。

実際に、探検家のハイラム・ビンガム(アメリカ人)が1911年7月24日に、ここマチュピチュ遺跡を発見するまでひっそりとその場所に構えていました。

凄いな。

何百年も見つけられない場所に、大きな建造物があるなんて。

いやー、本当ロマンだわ!

 

大きな石で作られている理由としては、スペイン人からのさらなる侵攻があった際に、その攻撃を防ぐには少しでも大きくて、厚いほうが防衛能力を高められるということも考えられます。

 

住んでいた人は、750人とも10000人とも言われています。

 

 

3、 1,2の両方?

もちろんありえます。

 

 

4、それ以外?

色々と説はあります。

とても賢い学者さんが日々研究していますので、発表を待ちましょう。

 

f:id:ryuichik71:20180131132852j:plain

侵攻したスペインの国旗。こっちも格好良い~。

 

f:id:ryuichik71:20180131132729p:plain

f:id:ryuichik71:20180131132852j:plain

ペルーとスペインの国旗はバランスや向きを考慮すると似てなくもない。

と、僕は思います!

 

 マチュピチュ遺跡は、なぜ住まなくなった?

 

そして、なぜマチュピチュ遺跡となっている場所での、人々の生活が途絶えてしまったかと言いますと、

 

 ①病気(伝染病)

 ②食糧不足 

 ③天災

 ④焼き払った

 

などなどの説があります。

④ にある焼き払った理由は、

・ペルー人が、自らここで居住していた痕跡を残さない為

・スペイン人の侵攻にて、焼き払われてしまった

 

の二つの説が考えられます。

 

「さぁ、ここからは僕の考えを言わせてもらいますよっ!」

僕は消去法で『①の伝染病等の病気もしくは④の自ら焼き払った』のいずれかで、途絶えたんじゃないかなって思います。

 

その理由、あれだけ緻密な遺跡を作れるのは賢い人々が多いと考えました。

太陽の位置等で暦を確認してしまうほどの、人々が暮らしていたんですよ。

そこで、食糧不足になる時期はいくらでもあっただろうと思い、食べ物の備蓄は相当していたと思います。

このあたりではジャイアントコーンを食べるので、これらの食べ物を乾燥させて保存できるはず。

 

そして、太陽暦使用したり、太陽を信仰していた人々は悪天候や天災には敏感だと思いますし、食糧不足の考えと同様にそのような経験は何回も経験しているはずです。

遺跡の規模が大きく、完成するまでに何年もかかっているのでその辺りは万全だと思います。

それでなければ、未完成だったでしょうし。

 

そして、スペイン人が焼き払った説も無いのかな~とも思っています。

これは、ペルー人が侵攻されないようにこのような住みにくい場所に作り、侵略されないように作戦も常に考えていたと思うんです。

絶壁に取り外しの出来る、橋とかを用意するぐらい、用意周到!

たぶん、それなら負けないと思う笑

 

そして、このような立派な建物があったら万が一スペイン人が侵攻を成功させてとしても焼き払うことはせず、住むなりペルー人に働かせて奴隷のようするではないかと思ったんです。

あとは、そもそもこの立地だからスペイン人には見つからなかったと思いまして笑

 

そしてマチュピチュ遺跡がどう作られたのかは、本当に不明。

マチュピチュ遺跡の石は整然と積まれており、石の壁が出来ています。

現代の科学では、解決出来ていない。

逆に現代の科学を駆使しても、この建造物は造ることができるのだろうか。

当時の技術から言えば、マチュピチュ遺跡は全て人力で造ったと考えるのが自然。

多くの人、時間が掛けられたと思う。

 

発見されて100年以上経っているマチュピチュ遺跡。

現代の科学でも謎が解明できないのは、もう解明出来なくても良いのではないかとも思います。

 

解明できない事、謎がたくさんあるからこそ、魅力的で神秘的な場所かなと。

 

そして解明出来てしまったら、観光客減るかもしれない。

ペルーの観光産業が困ってしまう笑

 

気になった方は、マチュピチュ遺跡を目で見て空気を吸いに行って下さい!

会社、学校、恋愛、家の事等々やらなければいけないことが研ぎ澄まされて、明確になります。

僕はなりました笑

そして、どうやら僕らの人生は、今世一度きりみたいですね!

 

では、次の記事で!

 

皆さんに抱えきれないほど、良いことが起こりますように。

 

BLESS YOU

 

 

 

 スポンサーリンク